即身仏は凄い!!でもさ、生活を放棄したら幸せになれないよ!!
2019/07/24
即身仏が浮かんだ。
ご存知だと思うが、即身仏とは、人々を救済するために、土中に埋もれるなどして、瞑想状態のまま絶命した僧侶のことだ。つまりミイラになった僧侶のこと。
先程、風呂に入っていたら、即身仏になった僧侶と繋がった。
俺「なんでミイラになったのか?」
僧侶「悟るためだ。」
俺「ミイラにならないと悟れないのか?」
僧侶「そんなことはない。しかし、あの時代はその道しか見えなかった。」
(ここで我に戻った)
俺、即身仏になった僧侶の気持ちが少し分かったよ。
要は、「悟りを開くためには。全てを断つ必要がある。」と悟ったのだろう。その上での決断のようだ。
この世では、(人も物も経験も含めて)何かに執着を持っていると悟れない。そこまでは僧侶と同意見だ。
しかし、ミイラになる必要はあったのか?
確かにミイラになろうとすれば、全ての執着を断つことが必須だ。
でもさ、生きたまま全ての執着を断てば、もっと凄いんじゃないの?
そう思った。
どの時代にも流行がある。
昔は昔、現代は現代だ。
俺たちにできることは過去のことを受けて、今をどう生きるかを考えることだ。そして実践することだ。
現代は、通常の生活をしながら、全ての執着を断つ時代となったと思う。
つまり、僧侶たちは即身仏になるといった厳しい修行で悟ったが、今は日常生活の中で悟れるということだ。
江戸時代は東京(江戸)から大阪へ行くに、馬か籠か徒歩しかなかったけど、今は新幹線や飛行機や車がある。
簡単に早く移動できるようになった。悟りも同じだ。2020年くらいからは、普通の生活をしていて悟る時代がくると思う。なので、多くの人が覚醒していくと思う。
地球アセンションは、どんどん進む。
今はその準備期間のようだ。
内観をして余計なものを1つ1つ手放していく作業を極めたい。心からそう思った。それが大きく花開く時が来る。
※
宇宙が自らに与えてくれたものがある。
有難く使えばいい。
だけど、ずっと持っていようなんて思ったら駄目だ。それは執着でしかない。
出会いがあれば別れがある。人も物にも、出会いと別れがある。それを掴んでいようとしているうちは悟れない。執着は捨てることだ。
宇宙から与えないものがある。
それを欲してはいけない。
自我で何かを求めれば執着になり、悟れない。
洗心をして欲心を捨て、本当の自分で生きるしかない。
本当の自分が引き寄せるものだけで十分だ。
それが悟りの道だし、俺はこの道をひたすら歩こうと思う。
※
最後に一言。
こういう話すると全てを手放そうとする人がいる。例えば、お金を稼ぐことは執着だからと仕事を投げてしまう人もいる。
しかし、神様は執着を手放すように言っているが、生活を手放すようには言っていない。
「全てを断つ学び」というのは、生活をしていて始めて成り立つことだ。
即身仏のように生活を捨ててはいけない。
俺たちの悟りは、その1つ上を行こうではないか!
それが宇宙の進化というものだ!
P.S.
さらに一言いいたいことが浮かんだ。
俺さ、スピリチュアルのカウンセリング依頼を受けた時によく聞くことがある。
「幸せってどこにあると思いますか?」と尋ねる。
様々な答えが返ってくる。
俺の答えは、「幸せは現実にある」だ。
俺たちは、人間関係でぬくもり感じたり、心が通じたり、美味しい物を食べたり、楽しい出来事があったりすると幸せを感じる。
全ては「現実」の中の出来事だ。
でもさ、現代のスピリチュアルの多くは、チャネリング、次元、アセンション、ツインレイ、ヒーリング、カルマ解消、聖地浄化、オカルト系、レイライン系、神様の名前系と現実から離すことばかり教える。
それで本当に幸せになれるの?
本当の幸せは現実の生活の中で、1つ1つ執着を手放し、本当の自分を知ることだし、本当の自分で生活することだと思う。
本当の自分が体験することが「幸せ」ということだと思う。