魂の波動を使って現実を動かして行く、仕事も恋愛も思いのまま
【魂の波動を使って現実を動かして行く】
これが俺の得意技だ。
現実を通して、スピリチュアルを学んでいるので、これが出来る。
今、現実の中の1つの山を動かしている。
これが楽しい。
時には失敗して泣きそうになりながら、時には上手く行って笑いながら、1つの山を動かしている。
そこには魂の充実感がある。
現実を動かすので、現実の中にしっかりと結果が残る。
果実が実るし、稲穂が実るということだ。
俺は、仕事も恋愛も人間関係も、すべて現実の中で生きて来た。
現実を通して、スピリチュアルを学び、魂磨きをしながら現実を動かして来た。
現実と向かい合い、自分にとり都合の悪い現実があっても、そこから逃げずに、それを乗り越えて来た。
それが洗心という道だが、その道を選んで来た。
スピリチュアルを学ぶということは、現実を豊かにするということだ。
今は洗心をして来て、本当に良かったと思っている。
幸福感と充実感に包まれている。
スピリチュアルを学ぶ人は、幸せになりたいと強く思っている。
願望実現を願っている。
しかし、幸せも願望実現も現実の中にしかないのに、なぜか、スピリチュアルを学ぶと、現実から離れて行く。
現実が上手く行っていない人は、浮いたスピリチュアル知識を語り、神学論争をしながら、現実逃避して行く。
理想とは違う現実を受け入れることが出来ず、現実と向かい合うことが出来ず、そして、他の場所に自分の居場所を求めたり、現実以外にユートピアを探す。
スピリチュアルは現実を豊かにするものなのに、どこか、おかしくないか?
リンゴを食べたければ、スーパーやフルーツショップへ行き、お金を出して買えば良い。
リンゴを買えば、それは自分のものだし、買ったリンゴをがぶりとかじれば良い。
これが現実を動かすということだと思う。
だか、
なぜか、
スピリチュアルを学び上手く行っていない人は、これをしない。
リンゴを食べたいと思っても、購入する行動に出ずに、占い師のところへ足を向ける。
そして、「私はリンゴを食べたいのですが、食べられません。運勢を占ってください。」とたずねる。
チャネラーへお伺いする人もいる。
「私はリンゴを食べたいのですが、食べられません。神様にお伺いをしてください。何か憑依していませんか?」とたずねる。
ヒーラーへ足を向ける人もいる。
「リンゴを食べられない私をどうぞ癒してください。」と頼む。
また、リンゴを食べるために聖地巡礼を重ねる人もいる。
「リンゴを食べられないような世の中が悪い。その世の中を変えるには聖地を巡りし、聖地を浄化するしかない。」といった感じだ。
意味不明だ。
聖地を浄化すれば、リンゴが食べられるとでも考えているのだろうか?
ここまでくれば、まさに、うましかさんだ。
貴方は貴方の現実を生きている。
貴方が変えられるものは現実の中の貴方だけだ。
それを変えずして、何を変える。
受験勉強に例えてみよう。
「志望校へ入学したい」と思ったら、勉強するしかない。
受験勉強の計画を練り、効率を考え、コツコツと毎日勉強を重ねるしかない。
遊びへ行きたいという誘惑が襲ってきたら、その誘惑を断ち切るしかない。
合格祈願へ100回行っても、占い師のところへ行っても、聖地浄化をしても、志望校には合格しない。
ましてや、受験勉強もせずに志望校に合格するようなユートピア的な世界も存在しない。
当たり前のことだが、こういった無意味なことをやっている人が多いと思う。
ツインレイ思考などまさにそうだ。
自分で愛を感じられない人が、愛を求めて、仮想のユートピアの世界へ走る。
そこに愛があるわけがない。
究極の現実逃避だ。
貴方はシンデレラではないし、王子様が貴方を迎えに来ることもない。
貴方が貴方の中に抱える空虚感は、貴方が現実を生きることでしか満たせない。
ユートピアは貴方の現実の中にある。貴方が直面する現実を動かすしかない。
それなのに、一向にそこに着手しない。
魂の波動を使って現実を動かして行くにはどうしたら良いのか?
魂の波動を使って現実を動かして行くにはどうしたら良いのか?
それは洗心することだ。
まず、洗心の文言を頭に入れることだ。
洗心の文言には「常の心」と「御法度の心」ある。
(常の心)
強く、正しく、明るく、我を折り、宜しからぬ慾を捨て、皆仲良く相和して、感謝の生活をなせ
(御法度の心)
憎しみ、嫉み、猜み、羨み、呪い、怒り、不平、不満、疑い、迷い、心配心、咎めの心、いらいらする心、せかせかする心
洗心の文言を覚えたら、
現実の生活を通し、
常の心でいることを心掛ける。
御法度の心を起こしたら、反省し、自分を改める。
これだけだ。
例えば、
辛い恋愛という現実があるとする。
愛されていないし、相手から連絡もない。
スピリチュアル思考の方は、占い師のところへ行き、「私の恋愛はどうなりますか?相手の気持ちは?私はどうすれば良いのでしょうか?」と尋ねることをしがちだ。
まさに、弱い自分である。
洗心の文言で真っ先に出て来るのが「強く」である。
そんな場面こそ、強くあるべきだ。
「弱い自分を捨てて、自分のことくらい、自分で考えて、自分で行動しろ!!」ということだ。
第一、相手の気持ちを知って行くのが恋愛のはずだ。
相手を知り、自分を知って貰うことで二人の関係が深まり、それが絆に変わって行く。
それが恋愛だ。
それにはコミュニケーションを重ねて行くしかない。
できる範囲から行動へ移して行くしかないね。
まずは、1個のリンゴを買いに行くということだ。
その1個を買わずに、リンゴを持っていない自分に悩んでも何も変わらない。
もし、コミュケーションが取れなければ、それは霊的な話ではなくて、三次元(現実次元)のお話だ。
貴方のコミュニケーションスキルが低いだけだ。
世の中は便利に出来ていて、コミュニケーションのやり方を教えてくれるスクールがある。無料で聴けるYouTubeもある。
そういったところで1から学ぶしかない。
コミュニケーションを学び、それを実践することで、貴方の三次元的な能力は高まるし、魂の波動も高まって行く。
そうやって、弱い自分と向かい合い、時には泣きながら、時には笑いながら、自分を高めて行くことだ。
それが洗心であり、自分の理想を現実化する道である。
一足飛びに理想が叶うことはない、1つ1つ自分を磨いていくことだ。
宇宙や神様は、現実の中で生きている人間が好きである。
そして、現実の中で自分を磨いている人間が好きである。
洗心をしながら、一生懸命に現実を生きていると、とにかく宇宙や神様に好かれる。
そして、ある時、神様から無言の言葉を投げかけられたりもする。
俺もそんな経験をした。
試練に立ち向かって頑張っていると、
神様が、
「どうだ?大丈夫か?」
と話しかけて来た。
そして、温かく強烈な光に包まれた。
そんな時の自分は何も言えない。
以前の弱い自分だったら、「神様、助けてください!」とか叫んだかもしれないが、強さの大切さを知った自分は何も言えなかった。
本当は沢山話したいのに、言葉が出ない。
あれもこれも聞いてみたいのに、言葉が出ない。
自分の辛さを分かって貰いたかったのに、言葉が出ない。
やっとの思いで絞り出した言葉は、
「大丈夫です。」
だった。
それを聞いた神様は、その場から去って行った。
その後は、不思議と心が晴れた。
そして、ある時、気付いた。
その神様がどこにいるのかが分かった。
自らの内にいた。
そして、一時も自分から離れず、自分を思ってくれていた。
それは愛そのものであった。
俺は生きるのが怖くななった。
試練と遭遇しても、立ち向かう勇気が湧いて来た。
失敗しても「次こそ!!」と思えるようになる。
そして、リンゴを1個買いに行く日が続いた。
今も毎日リンゴを買いにいっている。
そして、買ったリンゴをがぶりとかじる。
美味しさを体感することで幸福感に満たされる。
「毎日リンゴを1個買いに行く」
それが、魂の波動を使って現実を動かして行くということであり、スピリチュアルを学ぶ上で、絶対に外してはいけない最も重要なことだと思う。
今日思ったことを、そのまま書いてみた。
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