洗心と瞑想を巧みに使うことが覚醒への近道だ【2つの内観法】
洗心は内観から始まる。
起きている間、常に自分を観察する。
自分の想念を客観的に観察する。
怒っているのか、
迷っているのか、
羨んでいるのか、
憎んでいるのか、
せかせかしているのか、
イライラしているのか、
など自分の起こしている想念を見る。
第三者的な視点で見ることがポイントだ。
また、
強く、
正しく、
明るく、
我を折り、
宜しからぬ慾を捨て、
まわりと相和して、
感謝した生活ができているか、
これも客観的に見る。
常に内観し自分の起こしている想念をチェックし、悪いところは修正することで魂の波動が高まる。急速に高まる。これが洗心の魅力である。
そして、もう1つ魅力がある。それは自我が鍛えられることだ。
自我とは顕在意識のこと、生活する意識のことだ。今、貴方がこのブログを読んでいる意識が自我である。
幸福な生活を実現するには、自我が重要である。ここは物質次元であり、現実次元でもある。なので、どんなに精神性を高めても、自我が貧弱では幸福になれない。
現実次元に絵を描くのは自我であり、幸福を感じるのも自我だ。
スピリチュアルでは、この自我が疎かにされる傾向がある。スピリチュアルの知識を増やしても、聖地をまわっても、平和を祈っても、自我が貧弱ではそこがボトネックになり何も変わらない。
エンジンのパワーを地面に伝えるのはタイヤである。100万馬力のエンジンを持っていても、性能の良いタイヤがなければ、走りは一向に良くならない。
ツルツルの磨り減った普通タイヤで雪道を走れば、タイヤは空回りし、車は前に進まないよ。前に進まないどころか、登り坂があれば下がってしまう。
洗心は、エンジンにあたる魂のパワーを高められる。そして同時に、タイヤの役目の自我も鍛えられる。
だから、洗心をしていると、どんな険しい人生でも、確実に前進する。そして、険しい道を抜ければ、絶景が見える山頂に到達する。
絶景を眺めることが、幸福と感謝を感じる瞬間である。
瞑想も大切だ。
そして、瞑想も内観だ。
でも、洗心とは少し違う。
というか逆の面がある。
瞑想は一人静かに座る。そして、自分の想念をチェックする。雑念が浮かんだら、それを手放す。
雑念は自我が起こす。浮かんで来る雑念を手放して行くと、自我が静まり、自らの魂が表側に顔を出す。顕在意識が薄れ、潜在意識が顕著になる。
現実次元の中では自我は好き勝手なことする。それが邪神となり、視野を曇らせ視界を悪くする。
「どっちが正しい方向なのか?」
それが分からなくなった時など瞑想は有効だ。自我が起こす雑念を消すので、魂の本当の思いを確認できる。自分の進むべき方向が自ずと見えて来る。
また、瞑想には他のメリットがある。その1つが地球とのグランディング効果である、瞑想をしていると地球の中心と繋がる。地球のパワーがグッと体の中に入って来る。地球上で地球と共に生きるようになる。
超意識とも繋がる。神界、魔界、その他、他の次元の情報キャッチすることも可能な超意識が芽生えて行く。
自らが地球の器となり、神の器となり、魔王の器となる。ここまで来ると、貴方は世直しの救世主だ。地上で大きなミッションを背負い、充実感を得て、宇宙的な意識で生活をするようになる。
洗心と瞑想、この2つの内観法を組み合わせると、マジに凄いことになる。
相乗効果も生まれ、魂の波動が飛躍的に高まる。
スピリチュアルの師匠なんていらなくなる。全ては自分で賄えて、自分の力で好きなように生きられる。これが本当の自由だと思う。
また、高所対処より物事を見る能力も高まり、相手の欲するところも分かる。複雑な人間関係がはびこる現実次元を生き抜く力も付き、経済的にも豊かになる。
本当のスピリチュアルを学ぶ人が進む方向は、権力やお金持ちが目指す楽園ではなく、「神」と「地球の自然」と「人間」が調和する真の豊かさを感じる世界である。
そこには本当の幸福と愛がある。
その領域めざし、今日も洗心し、瞑想をする。
洗心と瞑想は、将棋の世界で言えば、「飛車」であり、「角」である。そして、貴方は「王」だ。人生を良くする最強のツールである洗心と瞑想をうまく使いたいものだ。
洗心と瞑想を巧みに使うことが覚醒への近道だ。