縦の波動(剣)を出しまくった!!剣で斬ることで人生は変わる!!
縦の波動(剣)を出して、人生を切り開け!!
久しぶりに「縦の波動」を出しまくった。縦の波動は時には「剣」だ。ふざけた男がいたので、剣を抜いた。かなり社会的地位にある方だったが、バサッと斬った。
お陰様で物事が一歩進んだ。縦の波動は大切だよ。必要な時は剣を出して、斬ることだ。スピリチュアルを学んでいる人の中には「争いはいけない」という平和感を持っている人がいる。
しかし、剣を抜いて斬ることは争いではない。愛だ。斬ることで、こちらもスカッとするし、相手も何かに気付くだろう。スカッとは宇宙との調和を意味し、真実の愛そのものだ。
だだし、剣を使うときに「我」が優先してはいけない。洗心の「我を折る」が重要だ。我を無くすのではない。我を折り、真実の自分(本当の自分、真我ということ)の状態で剣を出すことだ。
そして、もう1つキーになるのが「怒り」の感情だ。縦の波動には、怒りが入らない。怒りは洗心のご法度の心だ。怒りは剣の切れ味を鈍らせる。
我を折り、怒りを捨てて剣を出すと、鋭い切れ味で、スカッと斬れる。日頃から洗心をしていると、いざという時に剣が出せる。
剣という縦の波動は、自分の人生を切り開いていく上で、物凄く大切だよ。縦の波動を上手く使えないと、スピリチュアルをいくら学んでも、絵空事になる。
「宇宙は愛です」「ワンネスです」「あるがままに生きましょう」「好きなことだけして生きればいいんです」「調和が大切です」などと口先で言っても、全ては絵空事になる。絵に描いた餅だ。
せっかく地球という現実体験の場で学ぶ権利を与えられたのだから、しっかりと剣を磨こう!!切れ味鋭い剣を持とう!
「もっともっと剣磨こう」と思った。切れ味鋭い剣を使うと、とにかく爽快だ!
銀行への不信感「こんな契約書でいいのか!喝!
亡くなった父の連帯保証人のお話だ。父が他界して4年になる。父は会社の代表取締役で、銀行からの借入金3000万円の連帯保証人になっていた。残高が半分くらいある。俺は相続人だから、連帯債務を引き継ぐ形になっている。
それ自体は仕方のないことだ。しかし、納得できないのが契約書だ。物凄く不信感を感じる契約書で、借入が行われている。
父は晩年、障害を発症して、コミュニケーションが難しい状態だった。脳は正常だったが、「見ること」「聞くこと」「話すこと」が不自由だった。そんな状態だったので、事実上は引退をしていて、会社経営は他者がやっていた。
そんな父だから契約の内容もよく分かっていなかったのだろう。経営者として、サインが必要との認識で、事実上の経営者を信頼して、ただ書類にサインをしたみたいだ。亡くなる前にそう言っていた。
契約書には、連帯保証人が2名記載されている。上の欄に父の名前、下の欄に事実上の経営者の名前が著名されている。
問題は父の署名だ、自分の署名欄に、よたった字で住所が書かれていて、自分の名前は、なんと、次の人の住所欄に書かれている。「なんじゃこれ!」という感じだ。
さらには、次の人の署名欄には、全く別の筆跡で、父の名前が書かれていて、訂正印が押されている。
「いったい、どういうこと?」
俺が銀行の担当へ電話して聞いてみると「(父の目が悪く)名前が別欄に書かれています」と説明された。
しかし、その割には、訂正印は的確な場所に押されている。それに第一、全く違う筆跡の父の署名が同一の契約書に存在するとは、どういうことなのか?
まっとうな契約が行われたのか?
不信感がプンプンする!
弁護士さんがいるので、聞いてみた。書類の有効性については法的に問題がないようだ。しかし、「信用が求められる銀行として、こんな契約書を作成していいの?」と思う。
間違えたら書き直せばいいだけの話に思うが、わざわざ面倒に訂正印を押す選択をすることは考えられない。
その理由は、訂正印を押す方が困難な作業だからだ。予備がなければ修正液で消して、コピーを取ればいい。今回の銀行の契約書はモラル的にありえない。
俺はサラリーマン時代に、IT企業でセールスマネージャーをしていたが、こんなふざけた契約書を見たことはない。信用が大切な銀行の作成した契約としては、お粗末過ぎる。
銀行の副支店長、支店長とのやり取り
銀行の契約書に不信感を抱いていたので、先日、改めて銀行へ電話でお伺いをした。副支店長と電話で話す機会をいただいた。しかし、この支店長が曲者だった。
「貴方ですか、色々と電話してくるのは。担当が説明した通り、正しい手順で作成した契約書です。何かあれば裁判所からの通達にしてください。時間がないので!」と電話を切られてしまった。
俺は顧客だし、サービスに疑問があれば聞く権利があるし、それに1万や2万円の話ではない。残高が1500万円以上ある話だ。銀行も契約状況の説明責任がある思う。
それなのに、俺の話もろくに聞かず、「時間がないので!!」と一歩的に電話を切られた。向こうからかけて来た4、5分の話で一方的に電話を切られた。
俺は剣を抜いた。この銀行の総合のカスタマーサポートへ電話して、副支店長に電話を一方的に切られたことを話した。
カスタマーサポートの方は、「申し訳ありません。支店長か電話させます。」と約束してくれた。
しかし、また、その副支店長から電話がかかって来た。今度は低姿勢で「申し訳ありません。私が支店長代理ですので、お話をお聞きします。」という。
俺はしっかりと剣を出した。「込み入った話なので、支店長とお話しさせてください。顧客からの電話を、時間がないのでと一方的に切る貴方とは話しくありません。貴方はコミュニケーション能力が低いので、支店長から電話をください!」と斬った。
すると、その副支店長は、しどろもどろで言い訳をいい、「用事があって…」「そんな一方的なこと言われても…」と言う。
俺はすかさず「一方的なのは貴方でしょう!!」と二刀目を入れた。この副支店長は、何も言わなくなった。電話を切った。
その後直ぐに支店長から電話があった。支店長から丁寧に謝罪され、俺は自分の主張をした。
支店長は話のできる人で、俺の話を聞き、銀行内で検討してもらえるようになった。物事が一歩前進した。
まとめ
人生において、自分の主張をしっかりとしないといけない場面がある。
戦国時代でいえば、相手が「問答無用!」と剣を抜いた場面のようもの。
こちらも剣を抜いて、まずは剣の鍔(つば)と鍔を合わせる。そして、斬る。
これが出来て始めて、相手を受け入れるという横の波動が生きてくる。縦の波動(主張)と横の波動(受け入れる)の2つの波動の使い分けと使い方をマスターすることは、自分磨きそのものだ。スピリチュアルの基本だ。