洗心、いつでも強くありたい。
洗心、いつでも強くありたい。
洗心の文言は「強く」からはじまる。「強く」には幾つもの意味が込められていると思う。そのうちの1つが自分に強くあるということだ。
強く生きていると、不思議と何が正しいのかがわかって来る。正しいものが見えたら、それを選択すれば良い。あとは、明るく笑って、その選択を体験する。体験の中で魂が輝き、幸福と繁栄を感じる。
強く生きる人を見て、隣の人が真似る。強く生きる人が増えれば、地球は自ずと良くなる。紛争も戦争も消え、皆仲良く相和する社会が生まれる。そんな気がする。
この世は因果応報だ
この世は因果応報である。
因果応報は偉大なる何者か(Something Great)により創られた宇宙の法則というのが一番近い表現の気がする。
我々はそこで生きている。
今を生きるとは、
因果を生きるということ。
そんな気がする。
因果が巡る、巡る、その法則の中で、我々は瞬間瞬間、何を感じ、何を思い、何を選択し、どう行動するのか?
偉大なる何者かは、それを観ている。
因果応報の中で、宇宙から与えられたことを受けて生きる。
そこには四句御箴言の世界が広がる。
■四句御箴言
与えられたことを感謝して受けよ
与えられぬことを感謝して受けよ
与えられたことを拒むこれ欲なり
与えられぬことを欲するこれ欲なり
以上
誰もが困難に直面するし、喜びを感じることにも直面する。
自分に与えられたことだけに集中し、泣いて、笑って、楽しく生きれば良い。
そんな生き方をしていると、自分と共に生きている偉大なる何者かに気付く。
それは自らが元々いた大地だ。
安堵感を覚え、懐かしさも込み上げて来る。
そして、以前より大きくなった自らを発見する。
洗心の強くからはじまった旅路。
今、その半ばくらいか、
偉大なる何者かと共に
洗心の道を進むのみ。
