人生は余分なものを手放す学びかもよ?ただそれだけのこと!!
2019/07/27
人生は余分なモノを手放す学びかもよ?
この世に生まれた時は裸一貫だよ。
でも、何もないわけではない。
最低限、母親との縁がある。
その後、空気を吸い、泣き声をあげ、服を着て、人生をスタートさせる。
そして、色々なものを獲得する。
道中、獲得したり、手放したり…
そんな感じで人生という名の山を登る。
登山家が「目の前に山があるから登るんだ」というが、まさにそんな感じで色々な山に登る。
ある時気付く。
登山の意味を。
人生という名の登山とは、手放す学びだったと気付く。
登山を体験すると「これはいらなかった」というものに気付く。そして、手放す。
登山を体験する度に、自分で意識しているかは別にして何かを手放す。
手放す度に人間の器が広がり、魂の波動が高まる。
ある時思った。
「登山する前に、手放せば、登山する必要はないの?」
実際に試してみた。
どうやら必要はないようだ。
人生は手放す旅で、1つ1つ手放して行くと最後はほぼ何もなくなる。
遺骨と灰が残る。
魂は肉体から抜け出し、手放した分だけ波動を高め宇宙へと還っていく。
想定以上に波動を高めた魂は超満足そうだ。
幸福感と充実感に満ち溢れている。
死を迎える前に、そこが分かってしまうと、もう何も追わなくなる。
追わず手放すことばかりを考えるようになる。
そして、現実を魂で生きるようになる。
我々は魂の存在だった。
素晴らしい存在だった。
そして今、現実次元の中で、魂として生きる選択をした。
この先にあるものは何か?
悟りの世界?
いやいや、そんなちゃちなものではない。
悟りを超えた宇宙の大パラダイスが地球に広がっている。
だた体験すればいい、そして、手放せばいい。
余分なものを手放すという人生の学びを体験すればいい。
ただ、それだけだ。
▼関連記事▼
ぜひ、こちらも合わせてお読みください!
→「もう一人の自分」を信じ切って生きている夏
もう一人の自分を生きていると、世の中から聞こえてくる雑音が消え、迷いも不安も不思議と消える。