鎌倉の海蔵寺にある十六ノ井へ行って来ました(^^♪
昨日は、ぶらっと鎌倉へ行きました。
映画「シン・ゴジラ」で、ゴジラが鎌倉へ上陸するシーンがあります。
その場所で写メ撮って来ました♪
僕、こういうの好きなんです。
深い目的はないんですが、なんだかウキウキします~(^^♪
映画のシーンの場所へ行ってみるのが楽しいです~(^^♪
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そして、その近くにある海蔵寺へ寄って来ました。
海蔵寺へ行くと、十六ノ井へ引っ張られました。
十六ノ井は、仏殿脇の小道の奥にある洞窟内に掘られた井戸です。
地面に、直径70cm x 深さ50cmほどの16個の穴があり、それぞれから水が湧き出てています。
洞窟の奥の中央に、観音菩薩像が祀られ、その下方に弘法大師像が安置されています。
その洞窟の前に立ち合掌をすると、弘法大師像に宿る意識体と繋がりました。
「全ては体験です。」というメッセージが飛び込んで来ました。
ひんやりとする洞窟の空気が伝わってきます。
風の音が聞こえます。
水の流れる音が聞こえます。
ウグイスのさえずりが聞こえます。
そして、近くを通る原付バイクの音が聞こえて来ます。
自分の内へどんどん入っていくと、
「全ては体験です。」
という声なき声が聴こえ、色々なビジョンが浮かびました。
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この世は、自作自演の超バーチャルムービーを見ているに過ぎません。
目に見える現実は、実は存在しません。
目の前の存在、人も物も全て、自分が見ている映像に過ぎません。
魂の存在である私たちは、肉体をまとうことで、現実波動レベルを体験しています。
全ては体験で、体験することで学ぶでいます。
ただ、それだけなんです。
だから、目の前の人や出来事を変えようと働きかけても意味がありません。
また、せっかく体験をしているのに、そこから遠ざかることも無意味です。
ちょっと表現が難しいですが、そういうことです。
そして、全ては体験だということを腑に落とすところに悟りがあります。
こうして弘法大師は悟って行ったのですかね?
苦悩も体験をしているに過ぎない
「自分に起こることは、全て自分が選んで、体験しているだけ」
そう思うと、見えるものが変わって来ます。
苦悩のルーチンから抜けることも出来ます。
苦悩は体験してしまえば良いだけです。
体験してしまえば不要となります。
なので、逃げずに体験すれば苦悩は消えて行きます。
逃げるから再体験となるだけです(笑)
楽しいことはめちゃ楽しめば良いし、苦悩は体験すれば消えます。
人生はただそれだけの気がします。
「人生は映像を見ているだけ」とはどういうこと?
水を思い浮かべてください。
冷やせば(波動を下げれば)、氷となり固体となります。
逆に、熱を加えると(波動を上げれば)、蒸発し水蒸気となります。
氷を触れば、冷たく、その硬さが肌に伝わって来ます。
水蒸気になれば、肉眼で確認出来ません。
水も、波動によって、見え方や感じ方が変わって来ます。
そこから考えれば、目の前に見えるものも消える可能性があります。
端的に言えば、私達が肉眼にみているのは、波動を下げた状態のものです。
波動を上げれば消えてしまいます。
正確な表現ではないですが、そう考えれば、目に見えるもの映像と受け入れやすくなります。
実際には存在しない相手や出来事に振舞わされるということは、めちゃ損な気がします。
自分に合わない人、意見が違う人、ネガティブな出来事に振り回されるだけ損です。
全ては体験です。
体験してしまえば良いようです(^^♪