人生には魂の学びがあるだけさ。
人生には魂の学びがあるだけさ。
これを最近はつくづく思う。
人間は、
自我と魂がセットになって、
肉体に宿り、
「人生」というストーリーを生きる。
そこには魂の学びがあるだけさ。
日々起きる出来事
瞬間瞬間起きる出来事、
そこから学んで生きている。
目標とか、夢とか、願望実現とか、
生きていると
目標とか、夢とか、願望実現とか、
そういったものが現れる。
欲というものだ。
これは自我が起こすものだ。
言っておくけど、
悪いモノじゃないよ。
これがないと人間は生きられないんだ。
だってさ、
食欲や睡眠欲や性欲があるから、
人間は生きるし、
子孫が繁栄する。
また、
目標や夢や願望実現があるから人間は動ける。
これらが動機や活力になり、
前に進むことができる。
さて、
ここからが重要だ。
自我が何かを追いかける過程で大切なのは、
「魂の修行」
を自覚することだ。
私たちが生きている最大の意義は、
魂の修行だ。
目標や夢や願望を追いかけながら、
魂の修行をしている。
ここを自覚する人と、
そうでない人とでは天地の開きが出る。
修行を自覚する人は、
何かあるごとに
1歩1歩進む。
魂の修行が進むということだ。
一方、自覚なき人は、
魂の修行の意味が極端に薄れる。
その場に停滞し、
価値の低い人生を送ることになる。
苦しいことが起きた時に、
「なんのために生きているのだろう?」
と疑問を持つ人は間違いなく後者だ。
人生は魂の修行と自覚している人は、
どんなに苦しい事が起きても、
「魂の修行か。仕方ない。乗り越えるか。」
と心が前を向く。
潰されずになんとか前を向く。
スピリチュアルを現実逃避に使ってはいけないよ。
それからさ、スピリチュアルを現実逃避に使ってはいけないよ。
辛いから、
苦しいからと、
現実から逃げれば、
その現実に呑まれるだけだ。
一時は楽になる感もあるが、
根本的な問題は解決されていないので、
再び、辛さは苦しさが襲って来る。
小火の内に消化しておけば良かったのに、
消化せずに逃げれば、
大火事になっていたりして、
辛さや苦しさが倍増して襲って来る。
辛さや苦しさの波に乗ってみる!
辛さや苦しさの波が襲って来たら、
波乗りの要領で乗り越えるんだよ。
現実逃避するのではなく、
ひょいっと乗ってしまえばいい。
本人が魂の修行をしていると自覚していれば、
現実逃避せずに、
そのポイントを探すようになる。
辛さや苦しさの波の乗る秘訣を紹介するよ。
それは、いったん、目標や夢や願望実現を手放すことだ。
これで握っている執着心を放せる。
簡単にいうと、
目の前のことに何も求めないということだ。
何も求めないでいると、
思考がリセットされて、
何かを求めている自分を上から見ることができる。
「何やってんだよ、俺!!」という感じだ。
目標や夢や願望を追いかける自分を上から見る。
それができると、
意識が自我から魂へ切り換わる。
そして、現状に隠されている学びを見るようになる。
すると、
自我が覚醒して
「俺は今、何を学ぼうとしているのだろう?」
と現状を捉える。
「そうか!!」
という瞬間を迎える。
ガッチャと音がして、
鍵が外れ、
拘束の鎖が解ける。
そうなると、
自我と魂が一体化したような状態になり、
生きるようになる。
自我は目標や夢や願望実現を追いかけるが、
慾では追わなくなる。
欲と慾は違うよ。
慾は下心が付く。
自分の利益を追いかける汚き心だ。
分かりやすく言えば、
欲は良くて、
慾は悪いよ。
宜しからぬ慾を捨てて、
良い欲を生きよう。
自我で沢山良い欲を追いかければいい。
魂をバックにして、
自我は想ったことをすればいい。
人生の喜びはそこにある。
繰り返しになるが、
人生には魂の学びがあるだけさ。
魂の学びをしながら、
沢山遊び、
沢山働き、
沢山愛し、
沢山幸せを感じればいい。
そうすれば、
死を直前にした時に、
「良い人生だった!」
と思える。
そんな気がするよ。