牛飼いの話。神と繋がり、幸福を知るヒントが隠されている。
2019/07/12
牛飼いの話。
ある村に二人の牛飼いがいました。一人は99頭もの牛を飼っています。かなり裕福な生活をしていますが、まだまだ満足していません。もう1頭増やして100頭にしたいという目標があり、欲望でもありました。
もう一人の牛飼いは3頭の牛しか飼っていません。たった3頭なので、裕福な生活はできません。それでも彼は十分に満足できる生活をしていました。
沢山の牛を飼えば、もっと物質的に恵まれた生活ができることは分かっていましたが、今以上の牛は自分に必要ないと考えていました。
ある日、99頭の牛を持った男が、3頭しか牛を持っていない男のもとを訪れました。そして、「自分は生活に困っている。牛を分けて欲しい。」と言いました。
頼まれた男は「貴方がそんな困っているなら」と1頭の牛を譲ってあげました。そして「友人を救うことができて良かった」と満足して、生活をやりくりして暮らし始めます。
一方、100頭の牛を手に入れた男は、「101頭にするにはどうしたら良いのか」と必死に悩んで苦しんでいます。
この二人、どちらが幸せなのでしょうか?
※
牛飼いの話は、以前、知人から聞きました。
今、この話に隠されている宇宙の真実がに良く分かります。
それを一言で言えば、【人生を内なる神と共に生きることに幸福がある】ということです。
余分な思考や物を捨て、自分に与えられたものの中で生きると神と繋がります。そこに満足する生活であり、幸福があると思います。
本当の幸福は物質的に豊かになることではなく、内なる神に気付き、神と共に現実次元を暮らすことです。
四句御箴言(しくごしんげん)という言葉があります。
■四句御箴言
与えられたことを感謝して受けよ
与えられぬことを感謝して受けよ
与えられたことを拒むこれ欲なり
与えられぬことを欲するこれ欲なり
牛飼いの話は、まさにこれですね!
凄くシンプルな内容ですが、これを生活の中で実践するのは、かなり難易度の高いことです。つい「宜しからぬ慾」が顔を出してしまいます。
欲望を満たそうとすれば、自分が苦しいだけです。自分の宜しからぬ慾に気付いたら、それを捨てることです。
飼っている牛の数が大切なのではなく、「自分に合っているか」というところが重要です。
人生を終えて最後に残るのは魂です。死を迎えれば、物質次元の貴方のものは、全て貴方のものでなくなります。
いつか手放さなくてはならないものを追い求めても意味はないと思うのですが、いかがでしょうか?
生きている間の魂磨きこそが、自らの本物の財産だと思います。
最近思うこと、
「人生の最後に残らないものを追い求めていたら、洗心して、宜しからぬ慾を捨てよう。ひたすら魂磨きに徹しよう!」
貴方は、「99頭の牛を持った牛飼い」と「3頭の牛しか持っていない牛飼い」と、どちらの人生を選びますか?
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