結果を意識し過ぎると「焦り」に繋がります。欲心を捨てることです。
結果を意識し過ぎると「焦り」に繋がります。
焦りには、
「結果を出さないと!」
「失敗したら駄目!」
「結果が全て!」
などの深層心理が働いていると思います。
一方、結果を無視していると「何でもあり」となり、魂の進化が遅くなります。
例えば、「テニスの大会で優勝しよう」と思うからこそ練習するし、「どうしたら勝てるのか?」と工夫するようになります。
「結果はどうでもいいや!」と思えば、練習にも身が入りません。
また、テニスのプレー中、スコアーボードを意識すると力を発揮出来ません。心ここにあらずになってしまいます。
プレー中は、相手から来るボールへ集中することが求められます。スコアーボードではなく、ボールをみてラケットを振ります。これがナイスショットへ繋がります。
僕は「幸せはバランスの中にある」と考えていますが、「結果」についても同様です。
結果に拘るからこそ、目標が立ち、目標へ向かって精進できます。しかし一方では、目標へ向かい進み始めたら、いったん結果を忘れて、「今」へ集中することが必要です。
「結果」と「今への集中」のバランスが必要だと考えています。
焦りには、多くの学びが隠されている!!
また「焦り」には多くの学びが隠されていると思います。
焦っている自分に気付いたら、意識を外し、第三者として自分を見てみると良いと思います。
「なぜ、焦っている?」
「なぜ、結果を出したいの?」
その奥には、どんな想いがあるのでしょう?
「名誉を得たい?」
「お金を稼ぎたい?」
「良く思われたい?」
「認められたい?」
「誰かのため?」
「結果が全て?」
色々な欲心が見えて来ます。
ここぞ洗心のタイミングです。宜しから慾を捨てることです。心を洗い、どんどん捨ててください。
「宜しからぬ慾を捨てて行くとどうなるか?」
宜しからぬ慾が動機になっている行動をとる必要がなくなります。というか、馬鹿らしくて出来なくなります。
「生活費を稼ごう」と嫌いな仕事を嫌々していたとして、ある日、確実で継続的な収入源を得る方法に気付いたら、どうしますか?
仕事を辞めますよね?
大好きな彼氏がいて(あるいは彼女いて)、その人のために辛い何かをしていたとします。
その人と別れて無縁になれば、どうしますか?
わざわざ辛いことをしませんよね?
洗心をして宜しからぬ慾を捨てて行くと、こういう現象が起きます。
不要なこと、無駄なこと、無意味なことを選ばなくなります。
残るものは何かというと、自らの魂を成長させるものを選ぶようになります。
別の言い方をすれば、心からやりたいことだけを選ぶようになります。
洗心というと硬く聞こえますが、実はスマートに生きるためのツールです。意味のあることだけ選択するようになります。
まとめ、
焦っていたら、結果を意識し過ぎている状態だと思います。
焦っている自分に気付いたら、結果を求める深層心理を見てみてください。そこには、宜しからぬ慾があります。
宜しからぬ慾を発見したら、捨てることです。この作業を繰り返し、宜しからぬ慾を捨てて行くと、自らが選ぶものが変わり、行動が変わり、そして、人生が変わります。
自らの魂が成長する選択を自然とするようになります。いつも好きなことだけし、納得出来る結果を呼び込むことも出来ます。