俺たちの桃源郷はどこにある?
自分の外に見える物質次元は、内の投影に過ぎないことに気付いた。
意識が外から内へ向いた。
「俺の内側、いったいどうなっているのよ?」
自分の内を見てみると、魂が垢まみれになっている。
「なんじゃ~、こりゃ~。」
ちょっと酷い状態だ。
俺って魂的には、青い存在だった。ケツも青いが、魂も青かった。
いくらなんでも汚いので、魂を(イメージの)水で洗い、雑巾で磨いた。
そして、魂にこびり付いた汚ない想念を掃除し、正しい想いへ入れ替えた。
俺の魂が少し光を取り戻した。
光を取り戻した分、内なる神の波動を感じた。
清々しく、あたたかい。
とても落ち着くし、気持ちがいい。
しばらくすると、ある事が浮かんだ。
その事を考えると、なんだかワクワクする。
ある事とは、ちょっと常識外れの内容だったが、思い切って言動に移してみた。
理由は分からないが不思議と物事がスムーズに進んだ。楽しかった。心の充実感も感じた。
それからというもの、魂の掃除をするのが習慣となった。
自分が発した汚ない想念に気付く度に、綺麗な想念に変えていった。洗心して魂の掃除をした。
魂は、洗う度に光を取り戻した。そして、自我ではなく、本当の自分の想いを感じようになった。
本当の自分の想いを感じるとワクワクした。ワクワクを言動に移すと、上手く行くし楽しい。充実感も感じる。
幸福へに道は、魂の掃除することだと確信を持った。
急に物事が上手く行かなくなった。大きなトラブルも招いた。
トラブルを解決するために、権力者のもとへ行った。「●●さんはさすがですね。尊敬しています。力を貸して下さい。」と心にもないことを言って助けて貰った。
問題事が解決するまで「大丈夫かな?」と不安にもなった。
結果的になんとかなったが、凄く苦しかった。
ふと、自分の内を見ると、掃除したはずの魂が垢まみれになっている。
「なんじゃ~、こりゃ~。」
「自分の本当の想い」と「欲望」とがもたらすものの違いを知った。
自分の本当の想いは、真心であり神だ。
欲望は、我がままであり邪心だ。
真心で行動すれば魂は輝くが、邪心で行動すれば魂は光を失う。
シンプルな法則だ。
ここが分かると色々と腑に落ちて来る。
幸せになるには、神を選び、邪心を払えばいい。時には、神の振りをして近付いてくる邪心も払えばいい。
本当の自分の想いのみ言動に移し、そうでない想いは捨てればいい。
幸せになる道は、とてもシンプルだった。複雑なものは何もない。
道に犬のウンコが落ちいたから、すすんで掃除してみた。近所の人に「有難う」と言われた。
めちゃくちゃ納得の行かない事が起きた。「相手にどう思われてもいい」と徹底的に自分の主張をした。凄く気持ち良かった。
営業の仕事でお客様のところへ行った。ライバル会社が素晴らしい商品を持って来ていた。お客様には、素直にライバル会社の商品を勧めた。
当然、僕の扱っている商品は売れなかったが、次に機会に僕の商品を買ってくれた。
異なる意見の人が現れた。頭に来たが、相手を否定せず接点を見つけてみた。お互いまったく違う環境にいるのに、仲良くなれた。
スピリチュアルの学びは日常生活の中にあり、とにかくシンプルだ。学ぶのにお金もかからない。
いつも神を意識し、邪心を選んだら反省して改める。
これが浄化だし、最高の御神業だ。
人が真心で生きた時、神と一体になり、宮柱がたつ。そして、幸福の道を歩きはじめる。
そうなると、その人自身が神社だし、パワースポットだ。光の存在となる。
光の存在が一人でも多く現れれば、地球は自ずと調和し桃源郷となる。