魂と共に生きる幸せを感じる秘訣
今回は
『魂と共に生きる幸せ』
というテーマでお話します。
現実の中で嬉しいことが起きたり、楽しいことが起きると人間は幸せを感じます。
もちろん、素直に喜んで幸せに浸れば良いと思います。
思う存分に幸せを体験してください。
しかし、これらの幸せは本物の幸せでありません。
なぜなら、その幸せ感は徐々に薄れて行きます。
すると、人間はさらなる幸せを求め、終わりのない幸せ探しの旅に出ます。
一方で、本物の幸せがあります。
それが魂と共に生きる幸せです。
こちらは嬉しいことや楽しいことが起こらなくても、幸せを感じます。
ただここに在ることに幸せを感じます。
その幸せは永遠です。
死んで肉体を離れても消えません。
僕らが人生で最終的に求めている幸せは後者だと思います。
人間は人生において、嬉しい体験、楽しい体験、悲しい体験、辛い体験をしながら、魂と共に生きる幸せを探しています。
そして、魂と共に生きる幸せに気付いたら、その幸せを常に感じながら、嬉しい体験、楽しい体験、悲しい体験、辛い体験をしていきます。
都度、色々な出来事と遭遇しますが、魂と共に在ると、自分のことは自分で解決する力が養われていて、体験を重ねるごとに魂が進化して行きます。
また、その意識レベルになると、何が起きても右往左往しません。
「宇宙が私にまた問題を出したね!私は見事に解いてみせるよ!」と問題を前向きに捉えるようになり、問題解決のプロセスを楽しむようにもなります。
以前であれば、問題ごとが起きて不幸を感じていたのに、問題ごとを楽しんでいる自分を発見します。
こういうお話をすると、
「そっか!魂を感じて、魂と共に生きれば良いのか!」
と思うでしょう。
しかし、これが実に難しい。。。
それはなぜかというと、
自我は意識の世界であり、
魂は無意識の世界に存在するからです。
意識と無意識はコインの裏表となり、
表裏一体です。
2つで1つです。
つまりコインの表にいれば裏をみることはできず、コインの裏にいれば表をみることができません。
魂の存在を意識すると、意識が働き、魂の在る無意識から遠ざかってしまいます。
僕は時折、ブログやTwitterで「他人の霊視やチャネリングを受けるのをやめなさい。」と言います。
それはここに理由があります。
運命や縁や過去世や将来の事などの無意識の世界を、他人の霊視やチャネリングで知ろうと意識した瞬間から無意識の世界から遠ざかってしまうからです。
本物の幸せから遠ざかるということです。
なので、僕は他人を霊視したり、チャネリングしたりしません。
その方に本物の幸せに気付いてほしいからです。
「意識を働かせれば、無意識はみえず。」
しかし、意識的に無意識をみる方法を僕は1つ知っています。
それが洗心です。
洗心には「常の心」と「御法度の心」があります。
因みにこんな感じです。
■洗心■
(常の心)
強く、正しく、明るく、我を折り、宜しからぬ慾を捨て、皆仲良く相和して、感謝の生活をなせ(御法度の心)
憎しみ、嫉み、猜み、羨み、呪い、怒り、不平、不満、疑い、迷い、心配心、咎めの心、いらいらする心、せかせかする心以上
日常の中で自分を観察し、常の心でいることを心掛け、御法度の心を起こしたら反省し、自分を改めます。
この作業を「洗心する」と言います。
僕は洗心することで無意識に在る魂に気付き、魂の想いを知りました。
洗心のやり方をこちらの記事をご覧ください。
↓↓
https://senshin-jp.com/511.html
さて、話を魂と共に生きることに戻しましょう。
人間はもともとは魂の存在で、この地球に生まれると自我(エゴ)が芽生え、自我と魂が肉体に宿り、様々な現実体験をします。
そして、この世は因果応報です。
ここを理解することが物凄く大切です。
現実に起こる全ての出来事は自己責任であり、起きていることに対して、相手が悪い、今の環境が悪い、生まれた環境が悪い、育った環境が悪い、会社が悪い、組織が悪い、社会が悪い、政治が悪いなどとは単純には言えないということです。
現実は、自分の魂が創り出していて、創り出された現実の中で自我が様々な体験をしています。
仮に今、貴方に落ち度はないのに、そして、正しく生きているのに、相手に嫌味の言葉を掛けられたとします。
これも因果応報です。
その出来事は貴方の魂が、貴方の自我のために起こしているということです。
そして魂は、自我の貴方に何かを気付いて欲しくて(何かを学んで欲しくて)、その出来事を起こしています。
因果応報が腑に落ちていると、「今、●●さんに嫌味を言われたけど、何が原因かな?私はここから何を学ぶの?」と考えるようになります。
今までであれば、嫌味を言われた瞬間に腹を立て、怒りを感じていたのに、その自分をそこに起き、冷静な自分で在ることになります。
ここが理解できた人は、あることに気付くと思います。
クリアする難易度は高いですが、ここに魂の存在を知るヒントがあります。
魂は四六時中、貴方と共にいて、貴方を見守っています。
客観的に、第三者的に、自我の思考と言動を見守っています。
そして、貴方が嫌味を言われた時に、冷静を保ち、客観的に、第三者的に、その原因を探ろうとする姿勢を取ると、魂の同じ位置に身を置くことになります。
「冷静」「客観的」「第三者的」に現実をみることで、自我と魂が同じ位置に在り、その2つが重なるということです。
つまり洗心をしていると、自我と魂が重なって行きます。
一朝一夕には生きませんが、洗心の鍛錬を積み重ねることで、自我と魂の一体化して行きます。
コインの裏表であり、絶対に重ならない2つが1つに重なって行きます。
自我で魂を感じるようになり、魂の想いも分かるようになります。
そして、魂と共に生きるようになり、そこに本物の幸せを感じます。
お金があるとか、
地位があるとか、
権力があるとか、
理解してくれる人がいるとか、
愛する人がいるとか、
愛してくれる人がいるとか、
その他あらゆる条件の抜いた幸せに気付きます。
それは無条件に在る幸せです。
無条件の愛とも言います。
この無条件の愛を感じることが、
魂と共に生きる幸せです。
僕は一人でも多くの方が、
魂と共に生きる幸せに気付くことを
心より祈っております。
最後に1つ追記して起きます。
先程のお話の件です。
自分は正しいのに、相手に一方的に嫌味を言われたとします。
そのまま、人間サウンドバックのように相手のパンチを受けなさいということではありません。
自分に起きている現実から、自分の原因を悟り、自分の学びにしなさいということです。
それが出来たら、現実の中で適切な対応が必要です。
相手が剣を抜いて来たら、時にはこちらも剣を抜き、鍔と鍔を合わせて戦うことです。
その戦いの中で、お互いの立場を理解でき、新しいものが創造されて行きます。
この辺りはさらに話が難しくなるので、今回のお話はここまでにしますが、洗心をし、ネガティブな出来事と遭遇した時こそ、感情的にならず、冷静を保ち、客観的に、第三者的に自分をみてください。
この鍛錬を重ねることで、自我と魂の繋がりが強くなり、やがてそこに自らの魂の存在を発見します。