死亡交通事故とか、100億円とか、最愛のパートナーとか、洗心とか
ブログで取り上げる出来事ではないかもしれないが、昨日の夕方、死亡交通事故と遭遇した。
仕事で首都高速を車で走っていた。
事故渋滞の表示がされた。
仕方ないので渋滞に並んでいると、事故現場へさしかかる。
普段見ないような警察の事故処理車両が並んでいた。
積荷満載のトラックが壁にぶつかっている。
運転席辺りは潰れている。
人が挟まれていると思った。
交通事故で潰される格好になるとヤバい。
青いブルーシートが用意され、人が救出されている場面だった。
事故原因は知らないが、
休日前で帰宅を急いでいたのか?
積荷が多いし、
緩やかな高速カーブで
曲がり切れなかったのだろか?
雨も降っていて、
悪条件が重なったように見える。
それにしても人間の命ははかない。
先程まで元気に生きていた人間が、次の瞬間にあの世ということがあり、誰にでも起こる。
帰宅後、風呂に入っていると、何かと繋がり、命のはかなさを考えさせられた。
100億円の財産を持っていても、死ねば紙切れとなり、銀行口座上のただの数字だ。
お互いに分かり合える最愛のパートナーがいても、最愛の家族がいても、死ねば自分は1つの魂となり、その人達と会話はできない。
命が消えると共に、現実で得たものは全て消えて行く。
そうであれば、俺たち人間は何を求めて生きるべきか?
この問いをした時に、いつも浮かぶ答えは【魂の充実感】である。
魂の充実感は現実で幸せを感じさせるし、死後も残る。
魂の波動を高め充実感を得ることに、人生の価値をおくべきだと思う。
※
お金や愛、物質による満足感を追いかけているうちは、魂の充実感を感じることはない。
100億円を得て、最愛のパートナーと家族に恵まれ、欲しい物は全てを手に入れ自我が満たされたとしても、魂の充実感はそれだけでは得られない。
むしろ逆で、100億円、最愛のパートナーと家族、そして手に入れたい物への思いを全て捨てた時に『無』という領域に入り、魂の充実感を感じる。
この世は滑稽(こっけい)な仕組みになっている。
それが分かって、全てを手放してみる。
それは大正解なのだが、ここに魔界の罠が仕掛けられている。
全てを手放して、現実逃避すると、魔界へ落ちて行く。
俺は現実離れしたスピリチュアルをする人が魔界へ落ちて行く姿を沢山見て来た。
人間は魂の存在であるが、生ある内は肉体に宿り、現実体験をしている。
現実を豊かに生きるには、お金も最愛のパートナーも家族も物質も必要だ。
追いかけていると魂の充実感を感じさせないものがないと、本当の魂の充実感は感じないということだ。
押しても駄目、引いても駄目という感じだ。
ますます、この世は滑稽だ。
この滑稽な世をどう生きたら良いのか?
どう生きれば、魂の充実感を得て、物質的にも豊かに暮らせるか?
俺なりに結論を出している。
俺が出した結論は
【魂として現実を生きる】
である。
そこら辺にあるスピリチュアルの教えを実践すると現実逃避をするが、俺は現実逃避はしない。
現実を大切にしている。
そこが一番違うところだ。
例をあげてみようか。
最愛のパートナーを考えてみる。
巷のスピリチュアルでは、ツインレイ(魂の伴侶)との地上での再会を願っている人達がいる。
俺は、「お前ら、ウマシカさんか!」と思う。
そんなものは存在しない。
現実逃避でしかない。
「現実を良く見ろよ!」
ツインレイとの再会なんて言っていると、最愛のパートナーと出逢うことなく魔界へ落ちて行く。
そして死を迎える。
今世で真実の愛に気付くことはない。
次はお金と仕事を考えてみる。
豊かに暮らすためにはお金は必要だ。
そして、お金を得るために仕事をするのが一般常識だ。
しかし、俺は思う。
これ嘘だよ。
お金を得ることと、仕事をすることとは本来別物だよ。
この地球には人々をお金で支配する意識体が存在する。
イシヤだ。
イシヤはメシア(神)に対して使われる言葉。
イシヤは、お金を得ることと仕事をすることを結び付け、「働かざる者食うべからず」とやった。
今の世は貨幣社会でイシヤに支配されているので、「生活費を得るために労働する」という思考を持っていると、イシヤの「雇用」や「給料」というツールで管理されることとなる。
心の自由を奪われ、毎日あくせくと働くことになる。
つまり、自分の本当の思い(メシアの思い、神としての思い、魂の思い)に蓋をし、生活するために労働する現実をつくり出す。
この問題を解決するには、お金を得ることと仕事は別物ということを腑に落として、魂の思いで仕事をすることだ。
つまり他人の役に立つ楽しみで仕事をする。
これでスイッチが入れ替わる。
それから、労働せずにお金を得る方法は沢山ある。
スピリチュアルをやっている人に多いのが、お金を求めることを悪とし、それらに目を向けない。
最近、面白いデイトレ(株式投資の一種)のYouTube動画を毎日見ている。
この方、5月位に100万円を資金にデイトレに入り、現在は500万円以上に資金が増えている。
デイトレの手法はシンプルで、毎日3銘柄をピックアップし、寄付で買って、寄り付いたら即売却する。
市場が9時に開き、9時15分位までには決着がついている。
めちゃ効率が良い。
俺はこのやり方に興味があり、なんとか真似できないかなと思っている。
そして、チャレンジしている。
結果、成功するか、失敗に終わるか、それは分からない。
しかし、現実の中でのチャレンジは生きている証だ。
チャレンジすることに魂の充実感を感じる。
死んだら何もできない。
現実逃避していたら、死んでいるのも同じだ。
お金、最愛のパートナー、最愛の家族、欲しい物、それらを追えるのが現実だよ。
現実逃避していないで追えばいい。
だだし、自我の欲望で追うのではなく、魂として追うのだ。
ここが重要なのだよ。
※
まとめ、
洗心し、欲望を捨て、現実を生きるのだ。
洗心を入れなければ自我の欲望を追うことになり、魂の充実感を得ることはできない。
洗心し魂として現実を生きれば、魂の充実感を得る。
自我でお金、最愛のパートナー、最愛の家族、欲しい物を追うのと、
魂でお金、最愛のパートナー、最愛の家族、欲しい物を追うのとは、
真逆な方向性を持つ。
魂で現実を生きるには、
洗心することだ。
1に洗心、2に洗心、3と4が無く、5に洗心だ。
俺は洗心を重ねて行く先に、全てが揃い、魂と現実が和合する楽園があると考えている。