洗心日記

日々の気付きと出来事を綴っています。

夢を叶えるとか、大志を抱けとか、真の夢は何処にある?

   


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「夢を追え!」

そして、

「夢を捨てろ!」

「大志を抱け!」

そして

「大志を捨てろ!」

それが悟りの道だ。

真の幸せは悟りの中にある。

悟る幸せを知ることだ。

願望実現の中にあるわけではない。

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夢の実現へ向かって
輝いて生きる。

素晴らしいことだ。

しかし、
輝きというのは、
いつしか暮れていく。

この世は諸行無常だ。

上がれば下がるし、
下がれば上がる。

上がりっぱなしも、
下がりっぱなしもない。

その意味を理解すると、
夢が叶えることなんて
どうでもいいことになる。

それが最近良く分かる。

それどころか、
夢を手放す時の輝きに
興味を持つ。

夢は原動力だ。
しかし、動き出すと
邪魔だったりもする。

夢は自らの外側に見える。

外側に見える夢を追うのが人間だが、
本当に追わなければならないものは
自らの内側にある。

人間はそのことを悟った時、
夢を追いかけて輝いている時よりも輝く。

比べ物にならないくらい
神々しく輝く。

夢を追いかけ苦しくなったら、
思い切って、
夢を手放してごらんよ。

そのことが分かるから。

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夢の仕組みが分かると
大志なんて
どうでも良くなる。

大志とは何?

どんなことを連想する?

「世紀の大発明をして世界的に有名なり、人々の役に立ち、大きな功績を残す。」

「将来は音楽家になり世界的なヒットを飛ばし、多くの人に感動を与える。」

「ビジネスで大成功し、巨額の富を築く。」

「国のトップになり、皆が幸せに暮らせる国をつくる。」

色々と浮かぶ。

しかし、
それらの輝きは、
内なる輝きに比べたら
大したものではない。

小さな灯火に過ぎない。

この世の全員が内側に神々しい輝きをもっている。

なのに多くの人は、
その輝きへ向かわず、
小さな灯火を追いかける。

この世は滑稽(こっけい)だね!

その滑稽な世界がなぜ存在しているのか?

その原因は【上辺】なんだよ。

目で見える上辺の世界の中で
幸せを追いかけるからだ。

お金の問題を例に挙げてみる。

「生活するお金が足りない」と日々悩み、貧乏は生活をしているとする。

「将来は大富豪になる!」と夢を抱く。

上辺の世界を生きている人は、「出世する」「仕事の質を上げる」「仕事量を増やす」「給料の良い仕事を探す」「投資などでお金を増やす」などを考える。

しかし、それだけではお金の問題は解決しない。

根深い問題だからだ。

仮に、仕事を増やし一時お金の問題を解決しても、再びお金で困ることが起きる。

投資が成功しお金が増えても、その後に大損したりもする。

「宝くじの高額当選者の末路」が話題になることもある。

高額のお金を手にして幸せになるはずが、悲惨な人生を送るという事実が沢山ある。

俺の身近でも同類のことが起きた。

先日、ある会社が倒産した。

3代目のアホ社長が会社を潰した。

先代が一生懸命に努力をし、会社を成長させたものの3代目に変わると1年足らずで倒産だ。

特に業績が悪い会社ではなかったし、むしろ、追い風が吹いている業界の会社だった。

倒産の原因は借金だ。

3代目社長が他の分野へ手を出し、銀行から借り入れをしたが、その事業が上手く行かず、お金を返せなくなった。

あっという間の倒産だった。

その倒産劇をみて、深いところにある真の原因がすぐに分かった。

真の原因は【3代目社長の人間の器】である。

【魂の波動】と言ってもいい。

人間には器があり、所詮、その器にのるものしか自分のものにならないということだ。

神様は意外にイタズラ好きで、器にのらないものを人間に渡す。

いい気になって偉そうにしていると、器ごとひっくり返ることが起きる。悲惨な人生となる。

夢を追って夢を掴んでも、器がなければひっくり返るのがオチということだ。

では、大きな夢をのせることができる【大いなる器】を手に入れるには、どうしたら良いのか?

洗心することだ。

日々起こる出来事を通し、自らの邪心を洗い流し、思考を磨くことだ。それにより魂の波動が高まる。大いなる器を手にすることもできる。

特に自分に都合の悪い出来事が起きたらチャンスだ。

都合の悪い出来事を気付きに変え、その出来事を引き寄せた自分を反省し、思考を変えていくことだ。

その作業により、魂の波動を一気に高め、大いなる器へ近付くことができる。

他人の責任にしたら駄目だ。

その時点で大いなる器は遠のく。

この世は因果応報だ。

自分に起こることは全て自己責任だ。

起きたことを自己責任として受け入れ、謙虚に生きることで色々と気付けてくる。

洗心の世界に入ると、

なぜが邪魔になるのが【夢】だ。

宇宙と調和する夢であれば良いが、多くの人は、そうでない夢を持っている。

つまり、自分の欲から起きる夢を持っている。

自らの欲を、洗心では「宜しからぬ慾」という。

洗心では「宜しからぬ慾は捨てる」と教えている。

これを捨てないと、一向に前に進まない。

だから、思い切って夢を捨ててみる。

すると、停滞していたものが、大きなものへ向かって進み始める。

大いなる器を手にする道へ入るということだ。

夢は悪いものではない。

しかし、真の夢とは、自分が気が付かない領域にある。

その真の夢に気付くためにも、いったん夢を捨てることだ。

夢を追いかけていると左右へブレる。

左右にブレて辛い思いをしているなら、

いったん夢を捨ててみる。

今の自分を生きれば、それで良いではないか?

今を生きることに100%集中する。

宇宙から与えられているものだけに集中して、与えられているものに感謝して生きることだ。

そして、与えられていないことを感謝して受け入れることだ。

夢を捨てた先に、貴方が追うべき真の夢がある。

そのことがだんだんと分かって来る。

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