ないものはない
ないものを求めると
幸せは遠ざかる。
【ないものはない】
それで良いじゃないか?
他人は持っているけど、
自分にはない。
それで良いじゃないか?
逆を言えば、
自分は持っているけど、
他人は持っていないものもある。
宇宙はバランス良くなっている。
自分だけが持っているものに
気付けば良いだけさ。
でもさ、
自分を不幸だと思っている人は、
自分だけが持っているものに
目を向けず、
他人の持っているものに目を向ける。
自分だけが持っているものに
気付くには、
【ないものはない】
と悟ることだ。
自分が持っていないものを
追わなくなった時、
自分だけが持っているものに気付く。
どうやら、
宇宙はそうなっているようだ。
ないものを欲することは、
宜しからぬ慾であり、
洗心の「ご法度の心」だ。
ご法度の心は捨てることだ。
宜しからぬ慾を捨てた時、
自分だけがもっているものを知る。
四句御箴言(しくごしんげん)という言葉がある。
(四句御箴言)
与えられたことを感謝して受けよ
与えられぬことを感謝して受けよ
与えられたことを拒む これ慾なり
与えられぬことを欲する これ慾なり
奥の深い言葉だ。
俺はこの言葉が好きだ。
この言葉を意識すると
宇宙からズレている自分に気付く。
そのズレを修正すると
安堵感を覚える。
豊かさはそこにある。
幸福はそこにある。
先日、島根県の海士町の話を知った。
海士町は島根半島の沖合約60kmの浮かぶ離島にある。
かつて、過疎化の波に呑み込みまれていた町だ。
若者は島を出て行き、
人口が減り、
高齢化が進み、
活気を失っていった。
ところが、
「ないものはない」はというキャッチフレーズを掲げ「まちおこし」に力を入れると状況が変わった。
東京や大阪から働き盛りの若者が移住してくるようになり、島に活気が戻った。
海士町の掲げる「ないものはない」という言葉は、
1.なくてもよい
2.大事なことはすべてここにある
という2重の意味を持つ。
離島である海士町は都会のような便利さはないし、物も豊富ではない。
しかし、
その一方で、
自然や郷土の恵みは豊富にある。
暮らすために必要なものは充分あり、
今あるものの良さを上手に活かせば、
豊かに生活ができる。
「ないものはない」は、海士町を象徴する言葉で、島らしい生き方や魅力を堂々と表現する言葉となり、島の魅力を多くの人に伝えることになった。
地域の人との繋がりを大切にし、ないなものを求めず、シンプルでも満ち足りた暮らしをすることが真の幸せではないか?
何が本当の豊かさなのか?
素直に「ないものはない」と言えてしまう幸せが、海士町にはある。
朝起きて、
今日一日が始まった。
宇宙から、
今日という時間が与えられた。
宇宙は、
住む家、
食べもの、
服、
仕事、
遊び、
あらゆる人間関係、
雑務、
楽しい出来事、
悲しい出来事、
出逢い、
別れ、
その一人にピッタリのものを、
寸分の狂いもなく与えて来る。
多くもなく、
少なくもなく、
ピッタリのものを
与えて来る。
俺たちは、
与えられたものを使って
シンプルに
生きることだ。
それが自分を生きるということだし、
自分を生きた結果、
満足感と幸福を感じる。
自分が持っているもの、
自分だけが持っているもの、
それを大切にして生きる。
また、
与えられたものを
拒んではいけないし、
与えられないものを
欲してもいけない。
あるがままに
ただ自分の人生をシンプルに生きればいい。
「ないものはない。」
それが幸福の源だ。