神様と一緒に「苦しく」を「楽しく」へ変える。余裕が鍵を握る。
目の前に問題事があるのに、真剣に取り組まない人は神を見ることはない。
また、目の前の問題事を自分だけで解決しようと力む人も神を見ることはない。
簡潔に言うなら、問題事とは、人間が(内なる)神に気付くためのものであり、問題事を解くことで、より深く神を知ることになる。
昨日、お風呂に入っていると、スピリチュアル相談室へ駆け込んで来た方の顔が浮かんだ。
苦しさの波動が伝わって来た。
「苦しいだろうな…」と思った。
でもさ、苦しい時の対策は1つしかなくて、苦しさを手放すことだ。
どんな状況でも同じだ。この世にいる限り、苦しい状況はやって来るし、苦しさを手放す以外に方法はない。
力んでなんとかしようと思うから苦しいんだよ。
また、そこから逃げて、何もしないから苦しいんだよ。
もし苦しいのなら、自分の内には神がいて、いつも神と一緒だと思うのがいい。
心の底からそう思えたなら、問題を解決するアイデアは神が与えてくれる。
神からアイデアが与えるまで、苦しさを手放して待てばいい。
ジタバタしたら駄目だ。アイデアが浮かんでこなくなる。
苦しさを手放して、心静かにして待てばいい。ただそれだけだ。
寧ろ、その状況を楽しむことだよ。
神様は楽しい波動が大好きだ。
神様に好かれれば、難題だって崩れて行くよ。
樹木希林さんが以前興味深いことを言っていた。
「物事には表と裏がある。どんな苦しい状況でも、闇ばかりでなく、必ず光の部分がある。だから、行き詰まったと思ったら、そこから少しだけ外れて余裕を持ってみるといい、余裕があると、どんな時でも愉快に生きられる。」というようなことを言っていた。
俺は、生きる人全てが苦しい状況を抱えていると思う。
ただ、人により、その捉え方に差があるのだと思う。余裕のまったくない人もいれば、完全余裕の人もいる。
余裕がないより、余裕があった方が良いに決まっている。
切羽詰まった時に余裕を持てるかどうか?
それは普段の洗心にかかっている。
普段洗心していれば、何事にも余裕を持って接することができる。
とにかく苦しいと感じたら、その感情からズレてみしょう。
そして、(できる範囲で良いので)その状況を楽しみながら、問題解決にあたることだ。
人生は雨の日ばかりではない、必ず晴れの日が訪れる。
台風だって、じっとして待っていれば、いずれ通り過ぎて、台風一過となる。
人生、とにかく楽しむことだ。
苦しい状況さえも楽しむことだ。