映画「鎌倉ものがたり」の感想【2】
若い頃は、「ビックなことをしたい!!」と思っていた。
若い頃は、「美人でスタイルの良い女性と結婚したい」と思っていた。
若い頃は、「世界一のお金持ちになりたい!」と思っていた。
若い頃は、目立ったことをして、ヒーローに成りたかった。
若い頃は、皆から「凄い!!」と思われる人物へなることを目標とした。
そして、若い頃は、フェラーリに乗り、世界旅行をすることばかりを考えていた。
でも今は、そんなもの、どーでもいいと思う。
興味が無くなった。
※
昨日、映画「鎌倉ものがたり」を観て、思った。
一色正和(堺雅人)と亜紀子(高畑充希)の生活を観て、思った。
「気の合う人と一緒に入れたら、それでいい。」
「一緒に平凡な暮らしがしたい。」
「そして、二人で1つのことを追えれば、それ以上は何もない。」
心からそう思った。
人の価値観は変わるものだな~。
ストレートに言って、現実化しようと思えば、世界旅行も行けるし、フェラーリも買える。
でも、要らないんだよ。
世界旅行へ行って、フェラーリを買っても、手に入らないものを知ったんだよ。
その手に入らなものとは、平凡の中に見る幸せのことだ。
一時の幸せだったら、出逢いのラブラブ期間に味わえる。
でも、それは覚める(さめる)幸せだ。
一時の夢だし、良い思い出だ。
ラブラブ感は、出逢った二人への神様からのプレゼントであって、一時のものだ。
本物の幸せは、夢から覚めた後に、自分の力で創り出すものなんだ。
本当の幸せを創り、無条件の愛を体験することなんだ。
無条件の愛は、平凡な生活の中にある。
というか、平凡な生活の中にしかない。
今になって、この年になって、それに気付いた。
人間は死ねば、黄泉の国へ行く。
黄泉の国へ行けば、全てを思い出すのだろう。
でもさ、俺はまだ現世にいるんだよ。
その現世で、何を思い、何を考え、何を創造するのか?
神に、今、それを問われている気がする。
映画「鎌倉ものがたり」をみて、そんなことを感じた。
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