ネガティブな出来事はギフトです!覚醒への案内人です!!
まず、滝行体験について書きます。
僕は、滝行の体験はありません。
しかし、どんなものか、今は良く分かる気がします。
きっと、滝行は、覚醒を得るためのものでしょう。
ウィキペディアで「滝行」を調べてみました。
気になる箇所を抜き出します。
・滝壺に入り気合を入れる。はじめは冷たさや衝撃で苦しいがそれをこらえる。
・徐々に苦しさが消えてゆき、水に打たれる感覚だけが残る。
・滝という激しい水の中では雑念が湧く余裕すらなくなる。精神統一が行いやすい。
・自然と向き合い自然と一体化する体験を得る
まさに、覚醒です。
ここからが本題です。
日常生活の中で、誰もがネガティブな出来事と遭遇します。
そのネガティブな出来事は、滝行と似ていませんか?
僕は、めちゃ似ていると思います。
ネガティブな出来事と遭遇すると、人は「御法度の心」を起こします。
御法度の心とは、憎しみ、嫉み、猜み、羨み、呪い、怒り、不平、不満、疑い、迷い、心配心、咎めの心、いらいらする心、せかせかする心です。
そして、これらの想念の渦の中に入っていきます。
物凄く嫌な気分になります。
重くなります。
まわりから打たれます。
苦しいです。
絶望的にもなることさえあります。
まさに、滝行です。
滝壺の中で、激しい水に打たれている状況と似ています。
※
僕は、ネガティブな出来事に遭遇したら、滝行をイメージします。
そして、気合いを入れて、ネガティブな想念のど真ん中へ移行します。
はじめは苦しいですが、逃げずにネガティブな想念に打たれていると、徐々に苦しさが消えて行きます。
そして、自分が置かれている状況だけが残ります。
ちょうど、上から自分を見ている感覚です。
意識が背後へズレ、第三者として自分を見ています。
「俺、何を体験しているのだろう?」
「相手が悪いと思うけど、でも、これも俺が引き寄せているんだよな~」
「だったら、この出来事から何を学ぶのだろう?」
「これを体験するために、地球に来たんだよな~」
そんな意識領域に入ります。
すると、まったく違う次元に繋がります。
問題事が起きている意味が分かります。
自分の課題にも気付きます。
課題に気付けば、修正することも出来ます。
自分を修正することで、問題事をクリアすることが出来ます。
一回り大きな自分になり、自分の波動も高まります。
この作業を重ねているうちに、いつの間にかに、自分の波動が高まり、高次な位置にいることに気付きます。
ネガティブな出来事は、間違いなく自分のためにあります。
覚醒のためにあります。
(財布屋)
ネガティブな出来事は、滝行と同じです。
激しい想念の中では余裕がなくなります。辛さを抜ければ、精神統一しやすくなります。
出来事と向き合うことで、自然(神)と一体化する体験を得ます。
ネガティブな出来事が起きたらチャンスです。
決して、誰かの責任にしてはいけません。
誰かの責任にすれば、滝壺へ入って行けません。
覚醒は、滝壺の中にあります。
ネガティブな出来事を起こしてくれた相手は、覚醒への案内人です。
恩人です。
感謝します。
影では、相手の顔を思い浮かべて、拝むことです。
そうすることで、魂の波動はどんどん高まります。
※
だたし、相手の言いなりになれということではありません。
自分の主張はしっかりとすることが重要です。
これも修行です。
本心からの想いは、明確に相手へ伝えることです。
言葉を呑んではいけません。
主張のポイントは、ネガティブな想念と切り離して、本心だけを相手へ主張することです。
本心だけの言葉は相手へも伝わります。
こうすることで、縦の波動(主張)と横の波動(相手を受け入れる)のバランスが取れて、新しい意識の扉がどんどん開いて行きます。
相手を受け入れることと、主張の2つを揃えることで、覚醒への扉が開きます。
ネガティブな出来事も、覚醒のための滝行と思えば、前向きになれます。
わざわざ山奥まで行かずに、滝行体験ができると思えば、前向きになれます。
ネガティブな出来事は、まさに宇宙からのギフトです。起こしてくれた相手は恩人です。