神は神社にいない。神は自らの内に在る。分かるかな~?
俺は宗教じみたのは大嫌いなんだけど、
でも、
神はいるよ。
どこにいるかというと、
俺たちの内側に、
どでーーんと座っている。
これ俺の昔の記事、読んでみて
↓↓
※
なのにさ、
その神に蓋をして、
一生懸命に自分の外側に神様を探している人がいる。
神社に行っては、
この神社の神様は●●であり、
封印されているとか、
封印を解かなきゃとか、
あるいは祈願したり…。
なんかおかしいよ。
自分が神なんだよ。
それをしっかりと腑に落とすことが、
本物のスピリチュアルのはじまりだ。
本物のスピリチュアルをやろうぜ!!
どうせやるなら、
本物のスピリチュアルをやろうぜ!!
自らが神になって生きるんだよ。
「本当の自分は何をしたいのだろう?」
それを強く考えよう!!
ここが重要だ。
しかし、
しかし、
しかしだ。
こういうことを言うと、
多くの人が勘違いするんだよ。
「自分の本当にしたいことは、他人の役に立つ仕事だ。生き甲斐を感じる仕事だ。新しい仕事を探そう!!」
とかなっちゃう。
そして、転職を考えていたり、転職活動をしている。
俺から見れば、大間違いだ。
自分がしたいこととは、今の現状の中でしたいことをするんだよ。
仮に仕事を持っているなら、持っている仕事を一生懸命にやるんだよ。
一生懸命にやっていると、納得のいかないことが出て来るんだよ。
そうしたら、本当の自分で生きることだよ。
自分の考えを主張したり、相手の考えを受け入れてみることだよ。
そうやって、自分を通しながら、調和をとり、難局を乗り越えていくことが神なんだよ。
わかるかな~。
重要だからもう一度言う。
神は自らの内側に存在する。
その神に意識を合わせて、今置かれている現状の中で、神の思いの通りに生きるんだよ。
そういう生き方をしていると、
貴方の顕在意識と内に在る神との繋がりが強くなる。
次第に神を強く感じるようになるんだ。
※
人生を生きていると不安を感じることが起きる。
また、腹の立つことも起きるよ。
怒りやイライラを感じることもある。
でもさ、
神を強く感じることができるのは、
そんな時なんだな~。
楽しい時はとことん楽しめばいい。
余計なことを考えていれば、楽しくなくなる。
でもさ、ネガティブなことが起きた時は、神を見る時なんだ。
腹が立ったり、イライラしたら、
自らの内に在る神へフォーカスしてみて。
迷ったり、悩んだら、
自らの内に在る神へフォーカスしてみて。
行き詰ったら、
自らの内に在る神へフォーカスしてみて。
そして、感じることを大切するんだ。
神は必ず応えてくれる。
その応えは、
意外にもシンプルで簡単なことが多いよ。
だから、見逃さないで。
先程の仕事の例でいえば、
「転職しなさい」
なんて大きいことは言わないよ。
もっと小さいことだ。
今の仕事の中で、
ここはこうしたいという小さいことだ。
はじめは小さいことから始まる。
その小さいことを見逃してはいけない。
神の思いと自分の行動を一致させるんだよ。
昨日さ、
仕事中に、
身に覚えのないことでクレームを言われた。
「何を言っているんですか!それは違うでしょう!」
俺はしっかりと言い返したよ。
相手がお客だからと言葉を呑むのは違うからだ。
結果、誤解だと分かって、お互いに納得して収まったんだけど、こういう一言が大切だと思うし、こういう一言が神なんだよ。
相手が上司でも同じだね。
違うことには「違う」って言えばいいんだよ。
自分を通せばいい。
それが神で生きるということだ。
神は神社にはいない。
自らの内側に在る。
そこを腑に落とすことだよ。
※
神社はさ、
携帯電話みたいなものだね。
例えば、「アセンション」という言葉の意味をネットで調べるとしよう。
検索エンジンの窓に「アセンション」と入力し、検索をかければ、沢山の情報が出て来る。
その情報はどこにあるかというと、
インターネット上のサーバーという場所にあるんだよ。
手元の携帯電話の中にあるわけではない。
神界というのはさ、現実次元にいる俺たちの言葉では表現できない部分があるんだよ。
神社があって、そこに神様がいるのとは違うんだよ。
神様は俺たちとは別の次元に存在している。
神社は携帯電話みたいなもので、神様へアクセスためのツールのようなものだ。
アバウトな話だけど、そう考えるといいよ。
神社へ行って合掌して、自分を省みるのは大切ことだ。
でもさ、一番大切なの日常生活の中で、内なる神にフォーカスすることなんだ。
そして、神を感じ、神の通りに生きることなんだ。
神はどこにいるのか?
神は自らの内に在り、自らが神なんだ。
今日1日を神で生きる。
そこに尊さがあり、生き甲斐がある。
それが人生さ。
自分の本当の気持ちを信じ切って。
その通りに生きる。
それが人生さ。