無条件の愛は、ツインソウルと聖地巡りを手放した先にある。
無条件の愛を知るのは難しい。
宇宙は全てが愛だが、ここ地球では愛が色々な形に化ける。
「無条件の愛って何?」
凄く簡単に言えば、条件が付かないことだ。
「●●のために~」という条件が付かない。
無償の愛と間違う人がいるが、無償の愛に対しては有償の愛があって、対になっている。無条件の愛とは違う。
無条件の愛はニュートラルポジションで感じるものだ。どちらかの極では生まれない。
こう話してくると、無条件の愛は難しく聴こえてしまうね。
もっとシンプルに考えてみる。
浮かんだのが、誰かのために自分を忘れて一生懸命になっている姿だ。
「自分を忘れて」というところがポイントだ。自分があると無償の愛になってしまう。
無償の愛も素晴らしいが、スピリチュアルを学んだ以上、無条件の愛を体感したい。
僕は時折、スピリチュアル相談を受ける。
色々と話を聞いていると、多くの人が無条件の愛を体感したがっているのが分かる。
その秘訣は、ズバリ、自我を折ることだ。
(自我とは生活する意識のこと。顕在意識ともいう。人は自我と真我「ハイヤーセルフ・潜在意識」が合わさっている)
洗心の文言に「我を折り、宜しからぬ慾を捨て」とある。
これを実践することで、無条件の愛を体験する入口に立つ。
でもさ、これがなかなか分かって貰えない。
「無条件の愛を体感したい」と言っていた人も、対話を続けていくとボロが出る。
結局は「●●ために」ではなく「自分のため」の話をし始める。
要は、自分が愛を感じたかったり、自分が癒されたかったり、自分の欲求を満たしたいがために無条件の愛を探している。
ツインソウル信仰にハマる人は、この典型的パターンだ。ツインソウル信仰に、無条件の愛がないことに、どこかで気が付こう。
聖地巡りをし、神を語る人も同じだ。「地球のため」とか言って、やはり自分を満たすのが目的だ。
こう話してくると、何を変えたら、意識が無条件の愛へ意識が向くかが分かってくる。
「自分のため」へ入っているスイッチを切り替えればいい。
具体的には、自我を折ることだ。
スピリチュアルの話をしていると「内観してみます」とか「自分を見つめてみます」と返してくる人が多い。
でも、恐らく、内観できている人はいないし、自分を見つめられている人もいないと思う。
この作業は自我を折らないと出来ないからだ。
多くの人は自我を見て「やりたいことをやればいいんだ」と解釈する。また、スピリチュアル指導者もそう教えている。
重要なのは自我を折ることなんだよ。
自我を折って、折って、折りまくると、はじめて真我(本当の自分)が顔出す。
真我は無条件の愛を基準に働いている。宇宙根本と繋がっているから当然のことだ。
無条件の愛を体験したければ自我を折り、宜しからぬ慾を捨てることだよ。そして、真我に気付くことだ。内なる神に気付くと言ってもいい。
ツインソウルも聖地巡りももう要らない。貴方が無条件の愛そのものだし、貴方が聖地そのものだからだ。
「得るは捨てつるにあり」
自我を折って、全て手放せば、望むものが手元にあったと気付く。
求めずに、手放すことだ。
無条件の愛は手元にある。
それを伝えたい。
貴方がそこに気付くことを祈っている。
※この記事はツインソウルを否定するものではありません。我欲で無条件の愛を求めると、偽ツインソウルと波動が合ってしまうことが言いたい。男性が「私と貴方はツインソウルです」というセリフを吐いたら、間違いなく偽ツインソウルだ。ただの口説き文句に過ぎない。霊感がなくとも簡単に見極めができる。あしからず。