村田諒太さんのコメントは素晴らしい!本当の強さを見た!!
1つ大きな拘りを捨てる時が来たようだ。
そして、大きな拘りを1つ捨てた。
拘りは執着と言ってもいい。
「こうあるべきだ!!」という偏った考え方だ。
その時点では、自分にとり絶対的正義かも知れない。
しかし、時間が経ち、違った角度から見ると、正義とも言えなかったりする。
全ての物事がそうだ。
例えば、犯罪を考えてみる。
犯罪は「悪」に決まっている。
現実的に犯罪を起こしたら、罪を償う必要がある。
AさんがBさんのお金を盗んだとする。
Bさんが絶対に悪く、Aさんが絶対的正義だ。
Bさんは罪を償う必要がある。
これに異論はない。
しかし、高次元的にみれば、犯罪を犯した者にも、その人なりの理由がある。
過去世というものがあって、過去世では、逆にAさんがBさんのお金を盗んでいるかもしれない。
お金を盗むことは許されないことだが、過去世のカルマの清算と考えれば、帳尻が合う。
現実だけを見て、あっちが悪い、こっちが悪いと言っても、それだけでは判断できないのが、高次元を含めた私たちの生活である。
まあ、その場合も、Bさんにとっては許す学びがあり、そのままカルマを返すのは好ましいことではないが。
日本ボクシング連盟の告発問題
今、世間では、日本ボクシング連盟が告発された問題で騒いでいる。
その中で、村田諒太さんの取った行動は素晴らしいと思った。感銘をした。
facebookでは「そろそろ潔く辞めましょう、悪しき古き人間達、もうそういう時代じゃありません。」と現体制の日本ボクシング連盟へ意見をした。
すると、怒った日本ボクシング連盟の山根会長はテレビ番組で「生意気だよ!」などと村田諒太さんを非難した。
それに対し、村田諒太さんは「色んな人に、勝手なこと散々言われて落ち込んでない?とか声かけてもらったりしていますが、何一つ気にしていないので大丈夫です。」と切り出し、「これは明らかな名誉毀損だよ、というようなことを言っていると聞きましたが、プロとして頑張っている中、そんな裁判したくないので、それも無視しますね。」と余裕の対応を見せた。
僕はこの発言を聞いて、「これだ!!」と思った。
本当の強さを見た。
この世には色々な争いがある。
争いを避ければ、争い以前となる。
立場の弱い者が、辛い思いをするだけである。
しっかりと主張することが大切だ。
しかし、一方、主張して相手が反論して来た時に、殴り合っても意味がない。
議論は必要だが、まったく意見の違う相手をスルーすることも必要だと思う。
その時に絶対的正義に拘っていると、自分のレベルを下げる。
自分に何かすべきことがあれば、それに向かえば良い話で、接点を見出せそうにない異物に合わせる必要はない。
現実の中でスルーして拘らないことも和合の1つだと思う。
高次元を含めていえば、接点を見出すということになるのだろう。
拘りってなんだ?
拘りというのは、相手に与えるものに対して使うもののようだ。
自分のために使えば、下手な拘りになる。
何かにぶつかり動かない状況に陥ったら、解決できない争いに陥ったら、下手な拘りに気付く時かもしれない。
自らが握りしめている拘りを探してみると良い。
その拘りの中に、目の前の壁を破るヒントが隠されている。
絶対的な正義を捨ててみる。
拘りを捨ててみる。
不思議とそれで楽になるし、現実が動き始める。
現実が動くのなら、こっちが絶対的な正義なのだろう?
自らの目標へ向かって、自らを表現することに集中する方が、絶対的正義に拘っているより楽しい。
人生は楽しいを選ぶべきだと改めて思う。