正しさを求めると、争いが生まれる…。どうしたら良いの?
僕のスピリチュアルポリシーは「洗心」です。
洗心の「常の心」の文言の2番目に「正しく」が来ます。
凄く重要です。
宇宙創造主の教えは、常に正しくあれということです。
しかし、ここに落とし穴があります。
それは、何に対して、正しさを求めるかということです。
僕の見解は、自分の内側に対して正しさを求めるというところが重要だと思います。
正しさを求める対象は、自分以外ではなく、自分ということです。
高い意識の方ほど間違いやすいところです。
つい、あれが悪い、これが悪い、こうするべきだとやります。
相手が人、物、会社、組織、事件、出来事と色々ありますがジャッジします。
そして、正しさを求め、咎めの心を起こし、対象を批判します。
最悪、攻撃が始めり、争いとなります。
意識が高いので、低いものが悪く見え、正しさを求めてしまいます。
「咎めの心」は、洗心の御法度の心です。宇宙創造主の波動と調和しません。
相手を咎める、相手に正しさを求めるということは、結果的に不調和となります。
世界平和や幸福を願う意識の高い人が、まったく逆に方向へ進むことになります。
ここ気を付けたいところです。
正しさとは何か?
「正しく」とは何か?
それは「自分の内側を対象とすること」が重要です。
自分の言動が、本当の自分と一致しているかというところをジャッジすれば良いと思います。
つまり、自我(生活する意識)と真我(ハイヤーセルフ)が一致しているという点に、ジャッジの対象があります。
これが本当の「正しく」ということだと思います。
常に内観をし、真我と一致していない自分を修正して、正しい自分を表現していくとまわりとも調和します。
意見が食い違うことがあっても、そこには学びがあり、最終的には調和します。
これが和合です。
和合か、破壊(争い)か、その基準は自分の内側になるということです。
最後に、和合と破壊の違いについて、1つ書いておきます。
相手にものを申すのをやめろということではありません。
相手にものを申す場合、相手をジャッジし批判しているのか、自分の内側を表現しているのかで違ってくるということです。
相手に正しさを求めれば破壊、自分の内側の正しさを表現すれば調和ということです。
まわりの起きている事件や出来事に対しても同じです。
自分の内側を見るということです。
その上で、正しさを表現するのはありです。
ちょっと難しくなりましたかね。
僕もまだまだです。
洗心をし、咎めの心を起こさないようにし、自分の正しさに磨きをかけて行こうと思います
また機会があれば、正しさについて書こうと思います。
洗心の文言を載せて起きます。
■洗心■
(常の心)
強く、正しく、明るく、我を折り、宜しからぬ慾を捨て、皆仲良く相和して、感謝の生活をなせ
(御法度の心)
憎しみ、嫉み、猜み、羨み、呪い、怒り、不平、不満、疑い、迷い、心配心、咎めの心、いらいらする心、せかせかする心