詰まるところは洗心だ!大我と共に生きることに本物の楽しさを感じた!
楽しい時間を過ごすなら、
詰まるところは、
洗心だよ。
幸せになるために、
スピリチュアルを学び、
色々と考え、
検討し、
試したりして、
結果的に行き着いた先は、
洗心だったよ。
※
スピリチュアルの情報は沢山ある。
ネット上を見ても溢れている。
今はYouTubeやブログがあるから、
一般人も情報発信がしやすく、
本当に沢山の情報がある。
しかし、
洗心を含むものは少ない。
それに準じるものも少ない。
洗心というと硬く感じると思うが、
とても重要だと思う。
洗心をしている人は伸びている。
壁に当たって止まっていても、
いつの間にかに壁を突破して伸びて来る。
※
僕は今回も壁を1つ破った。
洗心の恩恵だと思っている。
壁を破ることで、
今までは大我の発動状態だったが、
常の大我を感じるようになった。
大我の活動となった。
状況を打破するヒントが、洗心の恩師との対話の中にあった。
それは、すべてを手放して生きる秘訣だった。
洗心をしているからこそ、
対話をしていて、
ピッピッと来た。
何を手放せば良いのかが分かった。
自分の内側を見て、
手放すべき思考と想念に気付いた。
具体的に何をしたこというと大きな恐れを1つ手放した。
将来の心配という大きな恐れを手放した。
大きな恐れを手放すと、
目の前の壁が崩れ、
大我を常時感じるようになった。
1つ1つの言動が大我と重なり、
大我と一緒にいる喜びを感じるようになった。
すべて手放した向こう側にすべてが揃った世界がある。
人間の本当の楽しみとは、
大我と常にいることだ、
現世最大の気付きだった。
例を挙げて、1つ考えてみる。
【楽しく生きる】
スピリチュアルの世界ではよく言われることだ。
確かにそうである。
100%正解だ。
しかし、
現実次元の中で実践してみれば分かるが、
楽しく生きようとして、
楽しく生きても、
辛いことや悲しいことは起きる。
そうすると、楽しいはずのモノが薄れて行く。
そして、楽しくなくなり、辛いことや悲しいことの渦の中に呑まれて行く。
「こんなはずはない!宇宙は愛だ!自分は守られている!」と思い、
スピリチュアルで教った愛の言葉を唱えてみる。
そして、一時的に辛さと悲しみを我慢する。
しかし、辛いこと、悲しいことは消えていかない。
そこで気付く。
「自分は辛いことや悲しいことを克服したのではなく、ただ単に蓋をして一時的に感じないようにしていただけだった」と気付く。
洗心をしていると
辛いことや悲しいことが起きた時に、
内観をし、
根本原因にあたる自分の宜しからぬ思考や感情を探し、
それを洗い流して行く。
辛いことや悲しいことに蓋をせずに、
それを根本的に解決をして行く。
だから、
何かあるごとに
1つずつ内側が綺麗になり、
一歩一歩前進する。
一歩一歩の前進が目の前の壁に風穴を開け、
ついには壁をぶち破って進んで行く。
辛いことや悲しいことを抱えたまま、
それを感じたら蓋をして、
楽しく生きようとするのが、
一般的に広がっているスピリチュアルの情報。
僕が知っている洗心は、
辛いことや悲しいことが起きたら、
その根本原因を見つけ、掃除する。
辛いことや悲しいことの根本原因を捨てている。
そうしていると、
大我が表に出て来るようになる。
はじめは状況に応じて表に出る。
大我の発動である。
そして、洗心を続けていると、
常時、大我が表に出るようになる。
大我の活動である。
大我と自我が一体になること、
そこに人間しての本物の楽しさを感じる。
※
デートに例えてみようか。
大好きな人と崖の上にいる。
それは良いのだが、
一歩踏み間違えば崖の下で命がない。
台風が近付き、強風が吹いて来た。
ヤバい…。
落ちる…。
こんな状況で心からデートを楽しめるだろうか?
それより、
お洒落なカフェで、
お気に入りの音楽を聴き、
美味しいケーキを食べながら、
リラックスして
二人の会話を楽しんだ方が幸せに決まっている。
この状態を可能にするのが洗心だよ。
辛いことや悲しいことがある度に
自分の内側を見て、
宇宙の調和と合わない想念を掃除していくので、
自分の内側が綺麗になって行く。
洗心する度に、
辛いことや悲しいことの根本的な原因が消えて行くので、1つ1つ幸せを感じる環境が整って行く。
どうしたら幸せになれるか?
どうしたら豊かになれるか?
どうしたら楽しい時間を過ごせるか?
それを突き詰めて行くと、
最後は洗心に辿り着く。