「希望を捨てると希望が叶う」とは、どういうこと?
『希望を捨てると希望が叶う』とは、どういうこと?
▼記事を読む前に
自我は、顕在意識のこと、生活する意識のことです。
真我は、潜在意識のこと、本当の自分のことです。
人間の意識は、自我と真我から成っています。
▼ここから本文です。
「希望」について質問を受けたので、僕の見解を書きます。
希望には2つあると思います。
1つは、自我から起きる希望です。
もう1つが、真我から起きる希望です。
魂の波動が低い状態では、自我からの希望が主となります。
いわゆる、宜しからぬ慾というものです。
宜しからぬ慾は、「自分が優先」という思考で、下心を伴います。
「お金持ちになりたい」「権力が欲しい」「理想の異性と結婚したい」「海外旅行へ行きたい」「時間とお金に左右されずに、自由に暮らしたい」「高級車に乗りたい」「ブランド物がほしい」「高級レストランで食事をした」「贅沢をしたい」などです。
そして、自分の慾を満たすために、あれこれやるわけです。
しかし、自我から起きる希望を追いかけても、自分が満たされることはありません。
それどころか、色々なトラブルに見舞われ、地獄を見るようなことになります。
地獄を見た人は、にっちもさっちも行かなくなります。
最後は「神様、どうかお助けください」と神頼みに走ります。
これが真我に気付くタイミングです。
自分の至らなさを反省をすることで、真我へ意識が向きます。
真我は、本当の自分であり、神と繋がっている意識です。
神と繋がっているので、そこから湧いて来る想いは、まっとうなものです。
真我に気付くことで、本当の自分の想いが浮かんで来るようになります。
「他人の役に立つ仕事がしたい」「家族を幸せにしたい」「自分よりも恋人の方が大切だ。幸せにしたい。」「街を綺麗にしたい」「自然を大切にしたい」「他人を尊重した生き方をしたい」などです。
これが先に述べた2つ目の希望です。真我から起こる希望です。
僕は洗心を知り、自我から起こる希望を徹底的に捨てました。
宜しからぬ慾を捨て、心を洗い、魂の浄化をしました。
すると、自我と真我が繋がり始め、真我から起こる希望を強く感じるようになりました。
真我の希望を言動に移すと、何事もスムーズです。
自我の希望を言動に移すと、トラブルを引き寄せますが、真我の希望を言動に移すと、自然と願いが叶います。
それは、神の想いと自分の想いが一致しているからです。
人力だけなく神力が働いているからです。
楽々上手く行くとは、この状態のことです。
そして、楽しんで生活をしていると、本当の幸せや充実感を体感することにもなります。自分が満たされます。
ここが分かると、人は、自我の希望を捨てた先に、自分の本当の希望があることを知ります。
『一端、全ての希望を手放してみる。すると、本当の自分の想いに気付く。全て手放した向こう側に、全て揃っている世界があることを知る。』
このことが分かるようになります。
「得るは捨てつるにあり」ということです。
(ココロパルレ)
まとめ、
希望には2つあります。
自我から起きる希望と、真我から起きる希望です。
自我を捨てることで、真我の希望に気付きます。
真我の希望を現実にすることで、幸福感や充実感に包まれます。満たされた自分を感じます。
また、自分の波動も高まっているので、経済的や物質的にも豊かになります。良い人間関係にも恵まれます。